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ツアー・ノート

Whitesnakeツアー2003のツアー・ノートです


WHITESNAKE TOUR PROGRAMME NOTES
文:Mick Wall
翻訳:Yuki


DavidCONGRATULATIONS!(おめでとうございます。)このツアー・プログラムを購入したということは、次の2つの内の1つに当てはまるということだ。a)世界で最も偉大なロック・バンドのひとつであるWhitesnakeのコンサートを観る前にこれを読んでいる。あるいは、b)世界で最も偉大なロック・バンドのひとつであるWhitesnakeのコンサートを観た後、家への帰り道でこれを読んでいる。どちらにしても、今夜は君のもの・・・Whitesnakeがどんな風にロックン・ロールしているかを知っているということになる。過去25年にわたって多くの想い出深い機会で、時には多くの不思議でエキゾチックな場所で、そう、さらに様々な衣装に身を包み、彼らが成し遂げてきたことを観るのは、とても素晴らしい楽しみだ。そしていつも変わらないものがある。それはDavid Coverdale:非凡なヴォーカリストであり、燃えるようなジプシー悲歌や風景を映し出したようなロック・アンセムを生み出す男である。「gentleman rocker(紳士的なロッカー)」という言葉は彼のために作られた言葉であり、実際に彼はそういう人物だと思う。

もし君が若いDeep Purpleファンであるなら、バンドのヴォーカリスト、Ian Gillanが亡くなって代わりに無名のシンガーが迎えられたと知った1973年を僕は涙ながらに振り返ることができる。Davidって誰だ?彼らは気が狂ったのか?それから僕はアルバム「Burn」を買い、「Might Just Take Your Life」や「Mistreated」、他に激しい感じのタイトルの曲を聴いてみた。何てことだ!僕はRobert PlantやPaul Rodgers、Rod Stewartがはやっている時代に育ってきて、それに慣れていたのか、最初は自分が何を聞いているのか良く理解していなかったんだと思う。このDavid Coverdaleという男は・・・あらゆる面において優れていた。多分他のシンガーよりもずっと・・・この男は一体誰なんだろう?

僕は音楽記事から彼のことをいろいろと読み始めた。彼は22歳で、Deep Purpleに自身のテープを送った時はメンズ・ブティックで働いていたらしい。彼はとても長い髪をしていて、若い頃のRichard Burtonのように見えた。

それで充分だった。僕はそれから5年間、彼の名前の載ったものは全て手に入れた。その中には1976年のDeep Purpleのアルバムのような彼の最後の輝かしいアルバム、「Come Taste The Band」もあった。バンドはその時までにTommy Bolinの代わりにRichie Blackmoreをギタリストとして迎えた。そして彼らの音楽はぼやけた、ファンクっぽい面を持った感じになり、多くのファンは困惑したが、少なくともCoverdaleは自分の音楽を見せるチャンスをどんなにものにしたかったのかを表現していた。

現在彼が言っているように、「僕は音楽に対してはいつも向こうみずな姿勢を持っている。」確かに、Deep Purpleにさかのぼるとそれが判る。だが、特にそれ以降はWhitesnakeに対しての姿勢だと思う。「僕らは僕らのベースとして根底にあるブルースを失うことがたまにはある。僕らが生み出す音楽は色々な方面へと向い、ラインナップはそれにそって進んでいく。物事が進化し、名声や成功が同等になっていくにつれて僕自身が進んでいく不思議な道をね。それは僕らが常に僕らの音楽を新しく作りつづけていたことを意味する。もし僕らの最後のアルバムの次に最初のアルバムを聴いたら、バンドがたどってきた音楽の幅の広さに驚くだろう。」

だからといって、彼のDeep Purpleのフロント・マンとしての地位が、1978年に彼がWhitesnakeを結成した時、彼に成功を保証したわけではない。「実際は全く逆だったよ。」と彼は振り返る。最初のWhitesnakeのアルバム「Trouble」をリリースした時は、ニュー・ウェイブ・ミュージック到来の時代で、「みんな僕に言ったよ。ロング・ヘアのロックバンドやリズム・アンド・ブルースのバンドは今の時代には成功するチャンスがないとね。」そうだったかもしれないが、Coverdaleはそうではなかった。イギリスの北東に生まれ、自分を主張するのには、ただ強い声を持っているだけでは駄目なんだ。それ以上のものが必要だったと彼はいつも言う。「みんなが間違っているんだと証明したかったんだ。」そDougれは彼のキャリアにおいて常に心にあるテーマである。

ギタリストのMicky Moody (元Snafu, Zoot Money, and Juicy Lucy) 、Bernie Marsden (元UFO, Babe Ruth, and Ashton, Lord & Paice)、ドラマーのDuck Dowle 、元Colosseum II、Cozy Powell’s HammerのベーシストNeil Murrayとバンドを組み、彼はまだ自分を応援してくれるファンが居る事を知った。「ソールド・アウトになった最初のツアーから、多くの人たちがこういうタイプの音楽を聴きたがっていることは明らかだった。」と彼は言う。しかし、彼らのアルバムはラジオでかかることもなく、好意的に批評を書かれることもなかった。「その当時まったく起こらなかったことだが、僕はまだそういうことが起こるのを待っている。」と彼はほくそ笑む。

Coverdaleが彼のニュー・バンドで全盛期に達したのはWhitesnakeの3枚目のアルバム、「Ready An’ Willing」以降だ。少なくとも、英国でそのアルバムのファースト・シングル「Fool For Your Loving」がトップ10ヒットを記録した時だ。空前の偉大なロックの一つが「Can’t Get Enough」や「Smoke On The Water」と共にそこにあった。「Fool For Your Loving」は僕らの全てを変えた、とDavidは言う。僕らは突然、初めてテレビやラジオに出るようになった・・・すごいことだろ!人々は気に入ってくれたよ。突然ロックン・ロールの時代が戻ってきたんだ・・・。」

その曲はMoodyとMarsdenと共にCoverdaleによって書かれ、もともとはブルースの伝説的なギタリスト、BB Kingのための曲として作られたものだった。 彼は笑いながら言う。「僕らは一旦その曲を演奏し始めると、ちょっと待った、これは僕らがやるには素晴らしすぎる曲だ、と思ったんだ。僕はBB Kingが大好きだ。だけど、この曲はもっと好きだ!僕はこの曲を歌うために生まれてきたんだと感じたよ。」

その時まで、初期のWhitesnakeのショウの一番人気のあった曲は、古いBobby ‘Blue’ Blandの曲、「Ain’t No Love In The Heart Of The City」のarm-wavingヴァージョンだった。そして、彼らはその曲を1978年に「Snakebite」のEPとして始めて録音した。

「Bobby Blandを尊敬していないわけじゃない。」とDavidは言う。「僕はいつも彼のヴァージョンを敬愛しているよ。だが、その曲は今はWhitesnakeの曲なんだ。」最初にそのことに気が付いたのは、1978年のNewcastle City Hallでのショウの時だった、と彼は言う。彼が目を閉じて歌っていた時、突然オーディエンスの方で何かが起こっていることに気が付いたんだ。よく判らない奇妙な音が聴こえたんだ。僕が目を開けると、みんなが一緒に歌っているんだよ!僕はとても驚いて、しばらく歌うのを止めてしまったほどだった。ただ彼らの歌声をそこで聴いていた・・・それから彼らは1曲全部を歌い続け、最後の一語まで僕のために歌ってくれたよ。それまで僕に起こったことの中で初めての経験で、本当に驚いたよ。

「それが、今僕が世界的に有名なWhitesnake Choirと呼んでいるものの始まりだった。その1曲・・・特に母国、英国でのオーディエンスのその曲への反響は僕のライヴ・パフォーマンスへのアプローチを全て変えたんだ。Purpleでは、影響を受けた様々なミュージシャンやシンガーの技巧がとても良く強調されていたよ。だが、オーディエンスを楽しませ、熱中させる方法を実際に学び始めたのはWhitesnakeでだった。そんな風にしてWhitesnakeはイメージ、過去あるいは僕や70年代の他のメンバーたちとやっていたものとは全く関係のない面を確立し始めた。それは、ちょうど今、この場所でこうやって楽しい時を過ごすことだった。そして神のおかげで僕達は当時、楽しい時を過ごすことが出来た・・・。」

彼らの方向性は決まり、Whitesnake船は次の2枚のアルバム、1981年発表の「Come An’ Get It」と1982年発表の「Saints & Sinners」と共に航行していった。両方とも立派なトップ10ヒットとなったが、「Saints & Sinners」のアルバムは、薄っぺらいプロダクションによって充分に仕上げられていないにもかかわらず、Thin LizzyやQueenのようにWhitesnakeの名前を英国中に知らしめた曲があった。その曲は「Here I Go Again」という曲で、おそらく最も偉大で有名なWhitesnakeの曲として後世の歴史に残る曲になるまでに6年かかった・・・完璧な音楽的改革だった・・・1988年の夏に英国でトップ10に達し、(ドラム・ロールの合図!)同時にアメリカで彼らの最初のNo. 1シングルになった。

「僕はこの曲をいつも愛している。」とDavidは言う。「そして、僕らが最初の頃それを公平に評価していなかったことに僕はいつも心を痛めている。「Saints & Sinners」は制作にとても苦労した。Micky Moodyは、僕らが制作に取り掛かってから長くは居なくて、ほとんど最後の段階で戻ってきたんだ。そして、他にも様々な事が起こった。僕らは音楽について考え、どうやったらベストな状態で録音できるかを話し合う充分な時間がなかった。僕らは単にアルバムを仕上げて、再びツアーに出たかった。忘れないでくれよ。その頃はもっと単純な時代だったんだ。1年で2枚アルバムを出すのが普通だったんだよ。急いで仕上げなければならなかったんだ。そして、僕らはその曲で何を得たのかを全く分かってなかったと、僕は思う。だから数年後1987年のアルバムでチャンスが再びやって来た時、僕はためらわずにそういうやり方でやったよ。」

「僕にとって、Marcoそれは未だにとても完璧なWhitesnakeの曲なんだよ・・・全ての面でダイナミックで興味深く、比較的ソフトな感じで始まり、しだいに激しくなっていく・・・ギターが炸裂するんだ。ヴォーカルはささやく感じから叫ぶ感じに流れていき、歌詞は特定の人あるいはみんなが一体感を持てるようなものだし、それは明らかだよ。」実際、歌詞は彼の最初の結婚の破局にインスパイアされたものだ。「しかし、人々は歌詞の本当の意味なんて分からないし、それは重要なことじゃないよ。人生の経験を歌った曲の一つに過ぎない。みんな知っていることだ。そしてまた、みんな捉え方が違うんだよ。大切なのは、全ての素晴らしい曲の中でそれがどんな風にあるべきかっていうことだ。」

それ以上のヒット・シングルがなかったにもかかわらず、Whitesnakeの人気は、1983年にCastle Doningtonで1年のうちで世評の高いMonsters of Rockフェスティバルでヘッドラインを務めるのに充分にビッグなものだった。彼らは素晴らしいパフォーマンスを披露し、50,000人のオーディエンス全員が「Ain’t No Love…」を一斉に歌い、腕を振り(それ以外のことも)、足踏みをし、喜びに満ちて酔いしれた。次にバンドで「Fool For Loving’」を演奏しオーディエンスを攻撃した。そして、その公演がWhitesnakeのその特別のラインナップによる最後の公演になるとはだれも推測することは出来なかった。

実際、次の6ヶ月が経過して、Whitesnakeの6枚目のアルバム「Slide It In」もどうにかレコーディングされ、Geffen(80年代のロック・レーベル)と新しいアメリカのレコード契約を交わし、古いWhitesnakeは完全に解散し、急いで集められた全く新しいラインナップになった。突発的な事故で左手にひどいけがを負ったためにバンドを辞めざるをえなかった元TrapezeのギタリストMel Galleyを除いて、残りのメンバーはすべてバンドを去った。Coverdaleがバンドのブルースのルーツを裏切っていると失望して、Bernie Marsdenは1983年にバンドを脱退(Galleyが後任となった)し、Micky Moodyも同じような理由で数ヵ月後に脱退した。「Mickyは一番純粋だった。」Davidは肩をすくめて言う。「僕は冒険者だ。ブルースを常に持っていたいが、同じように他の領域も追求してみたいんだ。」

元Deep PurpleのドラマーIan Paiceが1980年にDuck Dowleの代わりに加入し、Davidと元PurpleのキーボーディストJon Lordの2人と再び活動を始めた。Jonは1979年のWhitesnakeのセカンド・アルバム「Love Hunter」の制作前に加入していた。彼らは2人とも1984年にGillan時代のDeep Purpleの再結成ラインナップに戻ろうとしたが、Coverdaleは突然バンドではなく一人になった。たった一人Neil Murray以外のメンバー全てがバンドを去ってしまった。

「一方で、それはバンドにとってはショックなことだったよ。」と彼は言う。「特にMelの身にふりかかったことに関してはね。彼は少なくとも次のアルバムで、半分は僕と一緒に曲を作ったが、突然彼を失うことになってショックだったよ。だが、ほとんど全てのことに関して僕はMelに同情するよ。彼に起こったことは悲劇だった。」

「IanとJonの脱退はいろいろあった中での一部分に過ぎない。それは私が過ごしてきた日々の中で最悪のニュースだったが、少なくとも彼らがどこからやってきたのかは分かってた。無理に彼らと上手くやろうとして上手く行かなかった。Purpleは常にWhitesnakeであるよりもJonとIanのバンドだった。Whitesnakeは僕のバンドだ。」

「だが、BernieとMickyによって、それはフィフティ・フィフティの状況になっていった。彼らはバンドを抜けたがっていたし・・・そして、僕もそれを望んでいた。彼らが素晴らしいプレイヤーであることは確かだが、2人ともDeep PurpleのRichie BlackmoreやLed ZeppelinのJimmy pageがやるような厳然としたやり方でステージを支配しようとはしなかった。そして僕はバンドを次の段階に持っていきたかった。彼らは英国やヨーロッパで成功して上手くやっていく事に喜んでいたが、僕はPurpleと共にアメリカで全盛期を迎えたいというコインの裏側を見ていた。そして、僕は言いたかったんだ。僕は自分自身のバンドでそうなることができるとね。」

新たに元Jeff Beck、Rainbowのドラマー、Cozy Powellと元Thin Lizzyのギタリストであり、Whitesnakeが1982年にThin Lizzyとツアーした時にCoverdaleが目を付けていたJohn Sykesを迎え、苦境にもかかわらず、CoverdaleはWhitesnakeのラインナップを立て直そうとした。比較的短命だったが、バンドは最も多くの作品を生み出し、このラインナップが成功した時代への変化のきっかけを作ったことを証明した。

次のワールド・ツアーは彼らにとって最も大規模なものだったが、また、「Love Ain’t No Stranger」がMTVヒットとなったアメリカでの最初の大きなツアーも含まれていた。そのおかげもあって、「Slide It In」はアメリカのアルバム・チャートに登場し、チャートに登場した初のWhitesnakeのアルバムとなった。

「バンドにとって本当に素晴らしい年になったよ。」Coverdaleはツアーの最後のショウ、1985年1月にブラジルで行われたRock In Rioフェスティバルの前の晩に私に言った。「僕らがどこからスタートしたのかを考えてみると、最終的には素晴らしいバンドとなり、こうして最も成功したアルバムも手にしている。昔のラインナップが解散した時、すでに僕らの碑文を書いていた人がいたが、いつものように、彼等は僕や僕のファンに対して低い評価しなかった。彼等は僕とファンの絆の強さに気付いていなかったんだよ。彼らが言うように、私がオーケストラを指揮している限り、いつもWhitesnakeが存在しているんだよ。」Reb

予言の言葉だった。Whitesnakeの次のアルバム「1987」が2年後に発売されるまでに、策略家の年老いたギャンブラーは再びカードをシャッフルした。Cozyは「1987」がレコーディングされる前に、Black Sabbathに加入するためにすでに脱退しており、スタジオではトップのセッション・ドラマー、Aynsley Dunbarが代わりにプレイしていた。実際、MurrayとSykesがそのアルバムでプレイしている間、Sykesはアルバムのほとんどの曲をCoverdaleと共作したが、アルバムが発売される頃には2人ともすでにバンドにはいなかった。

Sykesに関して、彼はその時言った。「そのことに関しては全く別の話がある。きっとJohnも僕も公ではあまり深い関係にはなろうとはしていなかったと思う。Johnは素晴らしいギタリストで、僕らは一緒に仕事をし、作業が進んでいった・・・本当に上手くいっていたんだ。それだけ言えれば充分だろう。問題は僕らが一緒にプレイしていない時、1日のうちの22時間だった。17年近く連絡を取っていなかったJohnと去年、再び連絡を取ったことは僕にとってとても楽しい経験だった事は確かだ。僕らは昔のようにまた一緒にやろうという話をしたが、昔のネガティブな物事が僕らの頭によみがえってきて、私の人生の中でこの点では歓迎されることではないと感じたんだ。僕はその機会を受け止める準備が出来ていなかった。だが、誰にも分からない・・・僕は可能な短い期間のシナリオについてJohnと話し合い、ポジティブな考えを得ている。だから、僕らは今後どういう風に展開していくのかを見守るよ。」

そして、もう一度、1987年のアルバムの成功の後にツアーをするために、Coverdaleは全く新しく、もっと魅力的でエキサイティングなWhitesnakeのはじまりを世界に示した。そして、バンドにはギタリストAdrian Vandenberg(自身の名前を持ったバンドで時代を築いたスター)、Vivian Campbell(元Dio、その後Def Leppardに加入)、ベーシストRudy Sarzo(元Ozzy)、そしてドラマーTommy Aldridge(元Ozzy、Pat Travers、Black Oak Arkansas)が迎えられていた。「僕にとって、「1987」のツアー・メンバーはその時代に実にぴったりで、MTVや上質なロック・ソングを求めている人にもまさに適していたよ。」彼は言う。「「Still Of The Night」のような曲を今もう一度聴いてみると、最高のバンドだったって思えるよ。だが、正直に言うと、もしスタジオのメンバーでツアーに出ていたら、きっと内部分裂していたと思う。」

僕はアメリカとイギリスの両方でそのラインナップでのパフォーマンスを観たけど、どちらにおいても、彼等は僕が今まで観たバンドの中で一番のパフォーマンスを見せてくれたことは疑う余地もない。Coverdale自身にとって、それは本当に絶頂期で、驚異のマルチ・ミリオンのセールスを記録した「1987」アルバムの成功という、今までにない名誉に浸っていた。そして、そのアルバムは英国とアメリカ両国でその年にNo.1となり、チェッペリン風の「Still Of The Night」、華麗なバラード「Is This Love」(もともとはTina Turnerのために書かれた曲で、最終的には戻された。「単に、提供するにはあまりに個人的な内容だったからだ。でも、未だにTinaがこの曲を歌うのが聴けたら嬉しいと思っている。」)、新しくアレンジされた「Here I Go Again」、そして陽気な雰囲気の「Give Me All Your Love」という4曲のマンモス・ヒット・シングルを生み出した。

「みんな今でも言うよ、どんなだったかってね。ようやく僕はそういう全ての時代を越えて自分の力でそこへたどり着いたんだ。だが、真実は全てがとても急速に進行していき、考える時間が充分になかったっていう事だ。そういう段階まで成功した時、じっくり考える時間は無いってことだ。ただどんどん進んで、通り過ぎていくっていうことだ。」

そうして物事は進んでいき、バンドのラインナップは再び変わる事はなかった。しかし、Campbellはツアーの最後にバンドを脱退し、Coverdaleは次のアルバムの曲をVandenbergと作った。しかし、残念なことにギタリストは左手首の筋肉を痛めてしまい、再びプレイ出来るようになるまでに数ヶ月かかった。アルバムの制作を終えると、Coverdaleは「少なくともいつもみんなが思っていた、素晴らしく思いがけない大成功」を得た。その時、彼は元Frank Zappa、Alcatrazz、そしてDavid Lee Rothのギタリスト、Steve Vaiをバンドに入るように説得していた。

しかし、制作されたアルバム「Slip Of The Tongue」はミリオン・セラーになったが、CoverdaleとWhitesnakeの熱心なファンの多くの人にとって、何かがっかりするような内容だった。物欲しげな「Sailing Ships」や単一的な「Judgement Day」のようないくつかの素晴らしい曲があったのにもかかわらず、一般的にみんなが感じることは、Steve Vaiが彼の奔放な技巧で曲を飾りすぎるという傾向にあるということが、輝かしい前ギタリストをライバル視することで、リアルで貧弱なレコードであるということをカバーしていた。Davidが笑いながら認めるように、この問題を持ち出したとき、「Steve Vaiのソロを口笛で吹くときは、Kiri Te Kanawaでいなければならないんだ。」

「僕はAdrianと一緒にそういった素晴らしく、クリエイティブな曲を書き、もしこのオランダ人がStevenの代わりにフィーチャーされれば、アルバムの全ての曲が全く違ったものになると信じていた。音楽的には最高のものだったが、ロックやブルース音楽としてはけばけばしくなりすぎていた。」

それにもかかわらず、1990年8月、バンドは3度目になるDoningtonでのヘッドラインを務め、ツアーは成功に終わった。しかしその後、Coverdaleはしばらく気落ちしていたようで、それから3年間彼は沈黙していた。

Timothy「気分が落ち込んでいて、何もする気になれなかった。」と彼は1993年に公に姿を現した後それほど経たない頃に僕に話した。「僕はただとても疲れていた。日本での最後のショウの後、僕はバンドのメンバーに、自分自身に整理をつけるために1年間休みを取るって言ったんだ。そして僕は失業し・・・僕は本当に自分自身のための時間が必要だった。Steve Vaiはソロ・アルバムをやりたいと言ってきていて、ツアーの終わりに彼がそれをやることに僕らは同意していたから、彼はバンドを離れ、残りのメンバーはそれぞれ自分のことをやるために家へ戻っていった。僕はツアーに出ていても、スタジオにいても、Purpleに始まってWhitesnakeに至るまで、15年以上休みなく仕事をしてきた。ちょうど過去を振り返り、次に何をしたいのか、どこへ向かいたいのかを考える時期に来ていたんだよ・・・。」

最初に探し当てたことは、Whitesnakeから離れて、元ZeppelinのギタリストJimmy Pageとコラボレーションすることだった。残念ながら短命だったが、素晴らしくクリエイティブだった。その結果として出来たアルバム「Coverdale Page」で2人は結束し、見事に復帰を果たした。そして、このアルバムはCoverdaleにとって、アメリカでのもう一枚のトップ10プラチナ・ヒットとなった。

「そのアルバムは、いまだに僕の大好きなアルバムの一つだ。」とDavidは言う。「僕は何人かの最高のギタリストたち・・・Ritchie BlackmoreからTommy Bolin、John Sykes、Steve Vaiなどと仕事をする特権と楽しさを味わっている。だが、Jimmyとの仕事は何か違っていたね。本当に自分のヒーローの一人と仕事をしているという嬉しい気分を味わえたし、それによって、あらゆることに共感し、上手くやっていくことが出来た。確かに芸術的な水準において、それは素晴らしいコラボレーションだったし、僕のキャリアの中で最も楽しい時期の一つだと言えるよ。」

また、そのことによって、彼は「再び自分の翼をひろげ始めることになった。僕は自分の人生のおいて、ほとんどロックンロール・スクリーマーなんだ。そして今、僕はもう一度、僕に歌うことを許してくれる何か違ったことが出来るんだと証明したかった。」

1995年のWhitesnakeの最後のアルバム「Restless Heart」(初期のWhitesnakeのもっと世俗的なルーツに戻ったことをほのめかした)から、慎みのないタイトルが付けられ、Vandenbergがアコースティック・ギターでプレイし、日本でレコーディングされた前編アコースティック・セットを収録した1997年の「Starkers in Tokyo」まで、彼がさらに仕事の手を広げるまでに数年が経った。

「それぞれのやり方で、全てが新しい試みだった。」今、彼は言う。「どのアルバムも他のアルバムとは違う。それぞれのアルバムで僕はシンガーとして、パフォーマーとして違うことをやっていると言えるね。」

つい最近、彼が2000年にリリースした崇高なソロ・アルバム「Into The LIGHT」があった。彼が今までやってきた全てのものを表わす「Slave」や、彼らが今までにやってきたものとは全く違うものが壮大なタイトル・トラックの中にあったのを思い出す。「「Into The Light」におけるたくさんの音楽的アイディアは、実際にはCoverdale Pageのセカンド・アルバムのためのアイディアとして書かれたものだったんだ。だが、それは実現しなかったから、僕は自分で作業を進めたんだ。僕は優秀なミュージシャンを数人集め、Lake Tahoeにある自分の家からそれほど遠くない場所に家を借り、作業に取り掛かった。僕の人生で最もクリエイティブな時間だったよ!素晴らしかったね!アルバムを制作することは僕にとってとてもクリエイティブで開放的なことだが、もし注意して聴けば、いまでもどんなに潜在的に「Whitesnake」が存在しているかが分かると思う。」

確かに。何が今、今夜へ僕らを導いているのだろう・・・ほとんど10年振りの全く新しいWhitesnakeのツアー。バンドは再び出発点から始まった。Coverdaleは今までに非常にたくさんやってきたことだが、今回彼は新しいメンバーと古いメンバーを含む、数人のベスト・ミュージシャンに囲まれている。権力を握っているドラマーTommy Aldridgeが後方に、それ以外のメンバーはギタリストDoug Aldrich(元Dio、Lion、Burning Rain)とReb Beach(元Alice Cooper、Dokken、Winger)、キーボードのTimothy Drury(元Eagles、Don Henley)、最後に数少ないベーシストMarco Mendoza(元Ted Nugent、Thin Lizzy)。

「不思議な感じだったよ。」とDavidは微笑む。「彼らとプレイすることは、まるで音楽的新発明のようだったよ。一方で、僕らは「1987」のバンドの楽しい経験と輝かしい時をすべて手に入れた。だが、同時に初期のラインナップの時の鋭敏さを得て、楽しいと感じることが出来た。ようやく、ついに僕は全てを実現させることのできるバンドを作ることが出来た!DougとRebは実に器用なプレイヤーで、「Walking In The Shadow Of The Blues」のような初期の古い曲でも、「Still Of The Night」を格好良くプレイするのと同じくらい簡単にプレイし始めることが出来るんだ!」と彼は笑う。

結果として、今日のWhitesnakeのショウは「バンドのすべての異なった時代を公平に反映したもの」となっている。僕はバンドにWhitesnakeの歴史を見せて欲しいと思うし、ただ「Here I Go Again」のような曲を聴きたくて来てくれたようなファンも、ずっと彼らを応援してきてくれたファンも、同じように楽しめるショウをやって欲しいと思う。選曲はとても難しいと思うけどね。もし僕に任せてくれて、僕にエネルギーがあれば、僕らは毎晩5時間のショウをやるよ!」

そのことを証明しているかのように、Whitesnakeの最新コンピレーション・アルバムはヒットしているようだ。「The 25th Anniversary Collection」というタイトルの2枚組みのCDには、「Coverdale Page」と「Into The LIGHT」の両方のアルバムからの数曲を含んだ、36曲のWhitesnakeのベスト・トラックを収録されている。

「長い時間が経ってから、たくさんの初期の作品と再び関わることは、僕にとってとても誇Tommyりに思えることだよ。例えば、Bernie Marsdenのとてもメロディックなソロが聴ける。あるいはNeil Murrayの素晴らしいベース・プレイも聴ける。そして、SykesyやVaiと共にやった、もっと並はずれたこと、そしてPageyと一緒にやったことへと進んでいく・・・。全てが実に貴重な思い出であり、このアルバムを聴いたみんなにとってもそうあって欲しいよ。」

そして今君たちはここにいる。どんなきっかけでWhitesnakeを知ったのであっても、このツアー計画が記念として祝うショウは、きっとみんなにとって何か特別なものになるだろう。

さあ、そんなくだらないことはやめて、静かにして下さい。Whitesnakeがステージに登場したら、おしゃべりは止めてください。僕が何を言っているのか分かるよね。

ショウを楽しんでください・・・。

Whitesnake 2003 Tourbookより
Thanks, David Coverdale & Poor Albert!




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